校歌について

1917(大正6)年、学園創立10周年記念式典が挙行され、2代目校長(当時主席教諭〈教頭〉)・水月文英先生作詞、音楽教諭・高島ちか先生作曲の式歌が発表されました。この式歌が後に校歌となり、現在に至っています。

当時の様子について、水月文英先生は『回想録』の中で以下のように語っています。

校歌

今高校の運動場にある藤棚がだんだん茂りだした頃でそのあたりに遊動円木があった。ある初夏の夕方2名の寮生と腰をかけ、折から山の端に昇る月影を仰ぎながら私の将来の夢、理想を語った事があった。当時、今の中学の運動場の所は竹藪で、校舎のあたりは松の大木が繁り、その後方は鬱蒼たる森林でまことに物騒な所であった。右手に濃緑の山が続きその最も高い所が大休山※1である。校歌はこの時の感想が縁となって出来たもので、その初句「仰ぐみ山の大休 高嶺の月に誘はれて」の文句はこの山と、そして藤棚※2の下から仰いだ月を指すのである。

※1 大休山とは、現在の南公園(動植物園とその周辺)の辺りの丘陵のこと。
※2 この藤棚は正門付近の位置にあり、現在は紫苑館前に移植されています。

一番の詞からは、水月文英先生の教育にかける熱い想いを伺うことができます。
二番の詞に登場する「望東」とは、幕末の福岡に生きた女流歌人・野村望東尼のことです。彼女は、筑紫女学園からも近い平尾山荘の地に住んでいました。

江戸時代、女性が社会進出することが一般的ではなかった時代に、自ら社会に目を向け、信念を貫いた彼女の生き方は、福岡市内の多くの女学校で目指すべき人間像として捉えられていました。

望東尼の詠んだ和歌に、次のようなものがあります。

ひとすじの 道も守らば たをやめも ますらをのこに 劣りやはする 『向陵集』
(一途に信念を貫けば、女性も男性に劣りはしない)

筑紫女学園で学ぶ生徒も、広く社会に関心を持ち、信念を持って行動できる人物になってほしいとの願いが込められています。
本校のチャイムには校歌のメロディが用いられており、日々の学校生活を送る中で水月文英先生の想いを感じることができます。

ハモンドオルガンについて

講堂4階のオルガン室にはハモンドオルガンが設置されています。ハモンドオルガンは、パイプオルガンの代替楽器としてアメリカで開発された電気式オルガンです。現在本校に設置されている「B-3型」はハモンドオルガンの中でも名器と言われており、2018(平成30)年に創立110周年を記念して当時の父母教師会から寄贈していただきました。

式典や礼拝時の奏楽は、このハモンドオルガンを使用して生演奏で行っています。その日の雰囲気に合わせてテンポ感や音量などを微調整することで、式がより自然な流れで進行し、参列者が気持ちを込めて歌唱できるように心掛けて演奏しています。

バモンドオルガン

(この記事は、音楽科の先生に文章を作成していただきました。)